ここは閉鎖病棟。ー南條楓ー

この日記はこの世に存在する架空の少女の話としてお読みください。

私が自殺願望を持ったのは小学校5年の時。ブスでデブでクラスに友達と呼べる友達がいなかった私はクラス全員にいじめられていました。担任教師も見て見ぬふりどころかそれを笑っている始末。

父親がおらず、私は母と弟との生活でしたが、母は弟を溺愛しており、私はいてもいなくてもいいような存在でした。

学校にも家にも居場所がなかった私はしかしそれを悲観していたわけではなく、「ああ、私の人生なんてこんなものだ」と諦めていました。

いつ死んだってかまわない。誰も悲しむことはないとわかっていた私は自然に自殺を考えるようになっていました。

何かきっかけがあったというわけでもなく、手近にあった充電コードを首に巻きつけ、首吊り?を図りました(今思うととても滑稽ですが)。

結局、未遂に終わりましたがそれで何かが変わるというわけでもなく、次の日も登校し、帰宅し、何事もなかったかのように食事を取り、お風呂に入り、いつものように眠りにつきました。

いじめは卒業しても変わりませんでした。中学でも同じようにいじめに遭いました。いじめはさらにエスカレートしていました。暴力的で陰湿で私はさらに心がなくなっていきました。

しかし三年になるといじめはかなり収まりました。というのも小学校の時に比べて、少し痩せてブスも多少マシになったからでした。

しかし完全になくなったわけではなくそれは高校一年まで続きました。それでも高校は小中に比べれば天国のような場所でした。友達もでき、私の味方をしてくれる子が現れたからです。

そんな比較的平穏な高校一年の時、母が再婚しました。結婚前、義父は最初優しいふりをしていました。そんな義父のわざとらしい演技を私は気持ち悪く思いました。

高校に入った私はだいぶ容姿が変わり、小学校の頃とは比べ物にならないようになっていました。痩せて、普通程度の顔にはなっていました。成績もいい方で羨ましがられることもありました。高校デビューというほどではありませんが充実した高校生活を送っていました。

しかし、家庭は最悪でした。母が再婚し、義父が本性を表し始めたのです。

義父にされた多くの行為はおぞましく、口にできないようなものでした。義父は暴力的で卑怯な人間でした。

ある日私は寝ていたところを突然毛布で押さえつけられました。呼吸ができず、怖くて、私は母に助けを求めました。

母は何も言いませんでした。この出来事は今でも鮮明に覚えています。

また或る時、義父は私の部屋に入ってきました。追い返そうとすると義父は私の首を絞めてきました。

危うく気を失いかけそうになったところに騒ぎを聞きつけた母がやってきて、「何やってるの?」と言い、私は解放されました。しかし母は二階にいる私たちに階段のところから声をかけてきただけで何が起こったかは知りませんでした。

普通ならば母に義父の行いを訴えるべきでしょうが私は黙しました。この人は何もしてくれないとわかっていたからです。

義父と母は私が二年の時、離婚しました。しかしそれで終わりではなかったのです。

義父は私に付きまとい続けました。通学時や下校時、時には家に工具を持ってきて窓を叩き割って侵入しようとしました。

いじめ、家庭環境、それらがいまだに私を苦しめているのは確かです。しかし私は今、自分がうつ病であるのがそれらが原因なのかわかりません。私は生まれつきうつ病の性質を持ち合わせていた、そんな気がするのです。

長くなりましたが、今回はこれで終わりです。今回は私の現在に至るまでの話だったので暗くなってしまいましたが次からはもっとポップな文体で書きたいと思います。

長々と書きましたがご拝読ありがとうございました。南條楓でした。バイバイ。

南條楓の閉鎖病棟

ここは閉鎖病棟。

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